小説の間
おばあちゃんがうちにやってきた
プロローグ
うちのおっとは次男坊。
長男も車で15分程度のところで暮らしている。
おばあちゃん(お母さん)は、車で5分程度のところで一人暮らし。
80を越して一人で暮らせないと日々つぶやいていた。
ことあるごとに長男夫婦に「暮らせないと言っているよ」など言っていたのに、一向に変わらない。
試しにおばあちゃんに言ってみた。
「うち来ます?」
そうしたら
「いいの?」
あれ?うち来るんだ。
自分から言い出した事、もう引っ込められない。
こうなったら腹くくるしかない。
そして、あれよという間に引っ越しが終わり狭いマンションでの同居生活が始まった。
1.
好きに出かけていいのよ
うちに来る前から「私に構わないで好きに出かけていいのよ」と何度か言われていた。
おばあちゃんが来て最初の休日、晴れていたので午前中におっとと出かけた。
おばあちゃんは起きてこなかったし、部屋は真っ暗だったので寝ているのかな、おこしちゃ悪いなと思い、朝食をリビングに用意してメモを添えて置いておいた。
用事が済んで昼頃に戻り、買ってきた昼食をみんなで・・・。
ん?おばあちゃんの部屋のドアが閉まっている。
いつもはリビングでくつろいでいるのに、部屋にいる。
リビングには、用意した朝食がそのままの状態で残っている。
具合悪い?部屋からはわずかにテレビの音がする。
「どうしました?具合悪いのですか?」と聞いてみる。
返事がない。
部屋をノックして呼び掛けてみる。
怒った声で「はい」と。
「朝ごはん食べてないんですか?リビングに用意してあったのですが」
「そんなの知らない。そっちに行っていないもん」
怒ってる。
黙って出かけたのが気に入らなかったらしい。
ごめんなさい。
好きに出かけていいのよ。は、事前に言わなきゃダメだったのね。
前途多難を思い知らされた一日でした。
2.
おばあちゃんはお肉が好き
毎日おっとと自分のお弁当を持って行っていたのもあり、3人分の朝食と昼食は準備をしていたが、夕飯はたまにおばあちゃんが準備してくれていた。
ある日気が付いてしまった。
おばあちゃんはお肉が好き。
おばあちゃんの誕生日とか、長男やおっとが計画するのは、お豆腐料理や魚メインのお店ばかり。
そこでおっとに聞いてみた。
「おばあちゃん、お肉好きだよね?」
「本当?自分たちのためにお肉料理を作ってくれているんだと思っていた」
いやいや、私は魚系の煮物をよく作るが、おばあちゃんの煮物には鶏肉が入る。
私が料理サークルでゲットしてきたレシピで作る時があるが、お肉料理の時はよく食べる。
しかも、数年前に米沢牛A5ランクのお店に行ったとき、私は2/3が限度だったが、気がつくとおばあちゃんは完食。
試しに長男にも聞いてみた。
「おばあちゃん、お肉好きですよね?」
「本当?魚じゃないの?」
おい。兄弟よ。親の好きなものも知らないか。
晴れてお肉好きが知れわたったおばあちゃんの誕生祝は、その後ローストビーフのお店とかフレンチとかに変わっていった。
3.
旅行はいつも一緒
旅行が好きな私たち。いつも気ままに旅に出る。
でも3回に1回はおばあちゃんも誘っていた。
おばあちゃんがうちに来てからは3回が3回に変わってしまった。
置いていけないもん。
うちの車は、2ドアのスポーツカー。
おばあちゃんは以前、2ドアの後ろに乗るのは格好が悪いからいやだと言っていたのと、前にキャンピングカーで後ろに乗っていて車酔いしたことがあったので、うちの車に乗るときは必ず助手席。
3回に1回は我慢できていたけれど毎回は辛い。
同居前には、長男夫婦に3か月に1回は私を自由にしてとお願いしていたのに、3か月経っても半年が過ぎてもそんなそぶりは全くない。
旅もつまらなくなってしまった。
家にいるのも辛い。
せっかくの休みも用もないのに外に出て、公園をぶらぶら、隣の駅までとりあえず歩いてみたり。
おばあちゃんは持病があり、カリウムをなるべく取らないようにしなければならない。
野菜はすべてゆでこぼしてからの調理。
お鍋もすべての野菜をとりあえずゆでこぼし、それをお鍋にいれていただく。
なかなかそれもしんどい。
だんだん、自分がこの家にいる意味が分からなくなってしまった。
4.
3.11
その日はおっとと2人で熊谷の学校へ就職説明会に出かけていた。
自分たちの住まいは横浜である。
2時46分、説明会の最中に大きな揺れが起こった。外に出てしばらく待機したが、学校側の判断でそのまま中止となった。
車で来ていたので、いつもなら高速で帰る。
だが、高速は閉鎖。一般道で帰るにも信号機が止まっている箇所がいくつもある。
暗くなってきた。停電があちこちで発生していたので、暗いところは本当に真っ暗。
いつになったら帰りつくのか予想もつかなかったので、場合によっては近くでとまることも視野に入れて途中コンビニへ寄る。
とりあえず、水とおにぎりを買い、おっとがおばあちゃんに電話した。
よほど怖かったらしく、何時になってもいいからとにかく帰って来てという。
一般道でひたすら帰るが、渋滞にあたることもあり、0時頃に八王子駅付近を通過。八王子駅付近ではやたらいっぱいの人が並んでいたのを覚えている。
帰ったのは2時ごろ。ついでにガソリンも満タンにして帰る。
おばあちゃんは起きて待っていた。
怖かったね。もう大丈夫だよ。
余談だが、ガソリン入れて帰ってよかった。
その後はガソリンを入れるのに大変なことになっていた。
5.
計画停電
我が町では、3.11のあと計画停電が行われた。
車で15分程度のところに住む長男宅には計画停電がなかった。
3月なので、まだまだ寒い。
ただでさえ寒がりのおばあちゃん。いつも部屋中暖かくしているのに、エアコンとこたつに頼っている我が家には電気以外で温めるものがない。
長男夫婦が計画停電を理由に一時おばあちゃんを預かってくれることになった。
本当に久々の夫婦水入らずの時間。
マンション入り口から非常階段まで真っ暗なのを携帯の明かりを頼りに進み、9階までひたすら進む。
運動不足がたたって、かなり厳しかったがそんなことはどうでもいい。
結婚式で使った、やたらでかい蝋燭をテーブルに置き、ローソクの明かりだけでおっとと久々の2人だけのディナー。
料理もできない状態なので、買って来たものをいただくだけでもとてもおいしく幸せな時間だった。
一言付け加えておくが、決しておばあちゃんに出て行って欲しいとかではなく、ほんのたまにでよいので、このような時間が欲しいと思っていただけ。
計画停電が終わったら戻ってくるので、充電した自分としては戻ってきたらもっと優しくしなくちゃと思った時でした。
6.
開かずの踏切
我が家のそばには、有名な開かずの踏切があった。
その開かずの踏切を閉鎖し、東西を車はトンネルで人は踏切の上に歩道橋を作って繋ごうという工事が行われていた。
そのため、毎日踏切を監視する方がいた。
それが幸いした。
とある日、家に帰ったらおばあちゃんの元気がない。
顔を隠すようにして、早々に自分の部屋に引き上げてしまった。
翌朝、顔を合わせてびっくり!
なんと唇のあたりが晴れて、血豆ができている。
どうしたのかもちろん聞く。
昨日、開かずの踏切の途中で警報機が鳴り、慌てて渡ろうとして線路に足がとられ転んだ。
荷物(買い物の牛肉の細切れ)も持っていたので、商品をかばおうとして、どうも顔を打ってしまったらしい。
監視の方がいたので、助け起こし、病院まで連れて行ってくれたらしい。
動転していて、お名前も聞けなかった。ずっと持ち歩いていた牛肉は冷凍庫に入れたけどもうダメかも。
と元気がない。
その日、おっとと夕方待ち合わせて、お礼のお菓子を買い、工事関係者用の仮設建築に伺い、たまたまその方がいらっしゃったので直接お礼を言うことができた。
「そのためにいるのですから」とおっしゃっていただいたが、おばあちゃん一人だったらどうなっていたかと考えると感謝してもしきれない思いで引き揚げた。
帰って、おばあちゃんに直接お礼を言えたとい報告とお名前をお聞きできたのでお名前を伝えた。
その時の監視の方、本当にありがとうございました。
おばあちゃんもとても感謝していたのですが、その頃から少しずつ元気がなくなっていったように思う。
7.
入院
仕事が忙しくなった。というより、システムのリプレースがうまくいっていない。
早く帰れない日々が続いた。
おばあちゃんの夕食の準備ができない。
おばあちゃんは、「自分で何とかするから気にしなくていいわよ」と言ってくれたのでその言葉に甘えていた。
でも、自分で何とかするというのは、スーパーのお弁当などを買ってきてそれを食べることだった。
もちろん、野菜のゆでこぼしなんてやっていない。
日々、持病が悪化していった。
ついに透析をしなくてはいけない状態になってしまった。
そのための入院をすることになった。
あまり危険な手術ではないらしい。が、なんとなくおいしい料理をもう食べさせてあげられない気がして、2日前の夕食は手巻き寿司にし、1日前の夕食はお鍋にした。
両方ともおばあちゃんが喜んで食べてくれる。
いよいよ入院。
しばらく検査をして、手術の日が決まった。
しかし、手術の前日に脳梗塞を発症したらしい。
なので、手術は延期。
脳梗塞といっても、病院側ですぐに気づき、それに関してはあまり心配する状態にはないらしい。
状態が良くなるまで、入院を続け様子を見ることになった。
8.
お帰りなさい
良くなるどころか、だんだん悪化していった。
おなかが痛いと言い出した。
鎮痛剤を注射してもらう。しばらくすると、またおなかが痛いと言う。
そして鎮痛剤。
それも徐々に効かなくなり、強い鎮痛剤に変わっていく。
おなかが痛い原因を調べるには、おなかを開けて調べなければならないという。
でも、その体力が残っていないので、開腹することで体力が持たなくなってそのままになる可能性が高いという。
痛がったら鎮痛剤を与えて楽にしてあげる事を優先するか、リスクが高くても開腹手術をするのか、選択を迫られる。
長男とおっとが相談のうえ、鎮痛剤で痛がらないようにすることを選択。
それは、そのまま死を待つことにもつながる。
目が覚めてももはや誰かもわからなくなってしまう。
そして、冬の寒い夜、静かに息を引き取った。
早朝、葬儀社の方とおばあちゃんを連れて家まで帰った。
早朝のため、管理人さんがまだ来ておらず、エレベータを使用できることができなかった。
葬儀社の方は、このまま葬儀場でもいいですといったのだが、めずらしくおっとが家に連れて帰りたいと譲らなかった。
みんなで9Fまで外階段を使用して家まで連れて帰った。
おばあちゃんを自分のベッドに寝かせたとたん、おばあちゃんがほほ笑んだ。
そんなに帰りたかったのね。
お帰りなさい。